2012-10

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児島といえば…

 みなさん、こんばんは!
 渡邊です。今回は私が担当します。
 私の出身地は倉敷市の児島です。児島と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?
 鷲羽山、瀬戸大橋、下津井のタコ…。いろいろありますが、忘れてはいけないのが「せんいのまち」であることです。
 児島地区は、ジーンズや学生服、ユニフォームなど、繊維製品をつくっている会社が数多くあります。なぜ、児島で繊維産業が盛んになったのでしょうか。今回は、その歴史を振り返ってみたいと思います。

<1.江戸時代>
 児島は、その名のとおりかつては瀬戸内海に浮かぶ島でした。それが、江戸時代初期に干拓によって本土と陸続きになりました。
 干拓地の新田は塩気があって、すぐには米作りができませんでした。そこで、塩気に強い綿花が米の代わりに盛んに栽培されるようになりました。また、児島半島のほぼ中央に位置する由加山に端を発した水系が四方に流れ、染色や撚より機に欠かせない水を豊富に確保できるという恩恵もありました。
 当時の児島地域は、耕地面積の割に人口が多い、労働力が盛んな土地柄だったので、その労働力を利用して、新田で栽培された綿花から糸を紡ぎ、機を織り、付加価値をつけて雲斎織(注1)などの木綿織物にして売るようになり、繊維産業が根付いていきました。
 さらに、金毘羅と並ぶ信仰地としてにぎわった児島地域の北部にある由加山で、参拝客らに真田紐(注2)や小倉帯地(注3)が土産として人気を博し、現在の児島田の口、唐琴地区に織物業が発展していきました。
 つまり、児島地区は繊維産業にとって、土地的にも人材的にも条件が良いことに加え、他地域から人が多く訪れるのでビジネスが成り立ちやすかった地域だったんですね。

<2.明治時代>
 ところが、明治時代に入ると、由加山の参拝客が減少し、土産物として人気のあった真田紐、小倉帯地が売れなくなってしまいます。そこで、販路を県外に拡大するとともに、袴地や前掛地に転換していきました。さらに、明治末期の日露戦争後は、真田紐を改良した韓人紐、腿帯子(たいたいつ、注4)、弁髪紐を盛んに韓国、満州に輸出するなど、時代の変化に対応していきました。

<3.大正時代>
 大正時代に入ると県外大手企業の進出などの影響を受け、児島の民間製糸工場は経営が安定せず、昭和にかけて衰退していきました。
 腿帯子などの輸出は、中国の国産愛用運動の影響もあり逓減したため、児島地域の繊
維業者の多くは足袋に生産品目を切り替え、国内向け販売にシフトしていきました。
 足袋製造は、大正期に全盛期を迎えましたが、その後、服装の洋風化により1920年代には後退期を迎えてしまいます。代わって、急速に成長したのが洋服の製造でした。
 生活様式の変化に合わせ、大正末期から児島地域の業者は、足袋生産の裁断・縫製技術を活用し、学生服、作業服製造へと転換し、昭和にかけて被服縫製が主要産業になっていきました。それに伴い、染色・整理業、ミシン販売、ボタン製造などの周辺業種が集積して、産業へと発展していきました。
 そして、第一次世界大戦以後の戦後恐慌を契機に、従来の足袋生産から地元特産の小倉厚織地を使った学生服への転換を図る企業が増え、新市場の開拓に成功して、うまく恐慌を乗り切ることができました。

<3.昭和時代~現在>
 児島地区で生産される綿の学生服は、「運動しやすく着物より丈夫で安価」と評判になり、急速に市場に浸透し、昭和12年(1937)頃には、ほぼ全国の市場を独占していました。
 ところが、昭和37年(1962)頃をピークに小学校の自由服装化、学生数の頭打ち傾向などから需要が減り始め、さらに、団塊の世代が高校を卒業する昭和43年(1968)頃から学生服メーカーの競合が激化していきました。そこで業界は、体育衣料、事務服、作業服などへも進出していきました。
 そんな中、国産初となるジーンズを、児島のマルオ被服(現在のビッグジョン)が開発。昭和40年代半ばにはジーンズブームが到来し、気軽にはけるカジュアルファッションの代名詞となりました。新規参入も相次ぎ、ジーンズは児島の新たな特産品になりました。
 国産ジーンズ誕生の背景には、裁断、縫製、洗い、加工など一連の技術のノウハウが児島に集積していたことが挙げられます。海外の有名ブランドの仕上げ・加工などが児島で行われることからも、技術の高さがうかがえます。現在は、オーダーメイドジーンズやデニム生地を活用した新たな製品が開発されています。

 児島地区の繊維産業がさかんな理由、それはもともと土地柄が適していたこともありますが、時代の変化に合わせて、既存のノウハウを生かした新たな製品づくりを行っていったことが大きいように思いました。
 次回担当分からは、実際にインタビューさせていただいた児島の企業さんについて、紹介していく予定です。


注1 近世、美作津山の雲斎が始めた綾織の綿織物。丈夫で、足袋底や前掛けに用いられた。
注2 真田幸村の父昌幸(まさゆき)が刀の柄(つか)に巻いていたことから名前が付いたと言われる細幅の織物。平たく織った細い紐で、丈夫で伸びないため、刀の下げ緒、下駄の鼻緒などに使われた。
注3 小倉織は江戸時代の豊前小倉藩で生まれた、縦縞を特徴とした木綿の織物。高密度な経(たて)糸、太い緯(よこ)糸で織られ、染めが良く、良質で丈夫なため、日常着や武士の帯地として広まっていた。
注4 当時中国で穿かれていた袴の裾を束ねるための帯。

参照
○岡山県HP「岡山県の繊維産業」
http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/94418_309445_misc.pdf
○倉敷観光WEB「繊維産業を巡る旅」
 http://www.kurashiki-tabi.jp/feature/1708/
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イグサ
みなさん、こんにちは。今週はわたくし、馬場が投稿させて頂きます。

先週の記事は渡邊が書いたので、簡単に自己紹介をすると、私は倉敷市の粒浦出身で、渡邊と同じように岡山の企業に興味があったので、岡山の伝統産業である、イ草業界と酒業界と和紙業界、そしてSB(ソーシャルビジネス)について調べました。

そして今回、取材させて頂いた企業をPRさせて頂くという事で、まずは岡山県のイ草産業について紹介させていただきます。まず今回は、岡山県全体のイ草業界の歴史と現状、そして岡山県のイ草製品の強みについて説明させていただきます。

歴史と現状

倉敷市南部をはじめとする岡山県南部の農村部は、かつてイ草の生産地として知られていました。昭和30年代後半には、県南地域を中心に岡山県のイ草生産量は全国のイ草生産量79,000トンのうち39,500トンと約50%を占めており、作付面積も5,500ヘクタールで日本一でした(昭和39年)。イ草を原料とした、花ござ(花などの模様を練りこんだござ)のシェア率は全国シェアの約9割を占めており、業者数は最大時230件も存在したようです。

しかし昭和37,8年頃を境に、岡山のイ草生産農家は激減します。作付面積は1999年には約20ヘクタールになり、2007年にはわずか2ヘクタールとなりイ草を栽培しているのは岡山県内では倉敷市の3戸のみとなりました。花ござのシェア率も50%程度になり、業者数は15件程度です。

イ草生産農家が激減した理由では、まず倉敷に水島コンビナートが作られたことがあげられます。水島コンビナートの建設に伴って、地域内労働水準の上昇によって農業労賃が上昇し、今までイ草関係の仕事に携わっていた人たちの中には、水島の工業に仕事を変える人も少なくありませんでした。その上大気汚染公害によるイ草の先枯れ病(最初葉の先端部が淡褐色に変色し、しだいに基部に向かって2~3cm枯れ進む)が発生したためです。また、安価なポリプロピレン製のものや中国のイ草が台頭してきたこと、住宅居室の洋化によって畳の需要が低下したことも原因です。

このように岡山のイ草業界の現状は厳しいのは否めません。しかし、岡山県のイ草製品には、確かな強みもありました。

岡山県のイ草製品の強み

・イ草を加工する技術が高い
昭和初期までは明治初期に磯崎眠亀さん(※下に磯崎さんの紹介文をのせています)が発明した錦莞莚(きんかんえん)がありました。錦莞莚とは花莚(花むしろ)の一種で、明治11年(1878)に倉敷市茶屋町出身の磯崎眠亀さんが発明した岡山県最初の本格的な紋様織込花莚(もんようおりこみはなむしろ)です。明治期にはアメリカを主とした海外への輸出品として成功をおさめるとともに、国内外の博覧会等で数多くの賞に輝き、岡山県南におけるイ草・花莚産業の礎となりました。
そして今日でも、花莚の技術は高く、多くの記事で評価されており、岡山の花ござの生産量が全国の50%を占めていることがそれを裏打ちしています。イ草を加工する機会に関しても、一枚のござに横向きに6色のイ草が入る「六重織り」の機械や、ござの表裏の模様を対照的に仕上げる「風通織り」の機器、ジャカード式自動機器は岡山発祥で、技術の革新に余念がありません。

(※磯崎眠亀さんの紹介はこちら)
磯崎眠亀(いそざきみんき)(1834~1908)…小倉織という縦縞を特徴とした良質で丈夫な木綿布を扱う商人、織元の家に生まれました。早くに父母を亡くした磯崎さんは、領主戸川氏の江戸邸に仕えることになったものの、後に再び織物の世界へ戻ります。磯崎さんは、織機の改良や発明によって、次々と新しいものを生み出していきました。そして明治11年(1878)、磯崎さんの名を世界に知らしめた「錦莞莚」を苦心の末に完成させました。

・イ草を愛好する、厳しい目のお客さんが多い
栽培されるイ草の量が減っても、イ草を愛好するお客さんがいなくなったわけではありません。これからの記事でまた紹介しますが、訪問させて頂いた企業の中の「ライフネット難波」の方は、岡山はイ草の名産地だったということで、そこで古くからイ草製品を扱っていた岡山のお客さんはイ草にこだわりがあり、イ草を見る目があると仰っていました。そうした厳しい目のお客さんたちを相手に、よりよい商品を作ろうと試行錯誤を繰り返していることは、現在においても高品質な商品を作り出せる理由だと思われます。

こうした現状の下、地元岡山のイ草を使う企業、他県や中国産のイ草を使いながらも岡山の伝統を継承する企業など、やり方や方針は様々ですが、岡山には伝統を継承し、今日も良質なイ草製品を作っている企業がまだまだあります。

次回からはその中でも私が興味を持ち、インタビューのお願いをしたところ、快く受け入れてくださった3社のイ草業界の企業について紹介させていただきます。まず次回は、今吉商店について紹介していく予定です。よろしくお願いいたします。



<参考URL>
Wikipedia「イグサ」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%BA%E8%8D%89 2012.8.13)
小内透「重化学コンビナート建設といぐさ生産地帯における村落の変質構造:旧茶屋町A農事組合を事例として」
(http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/24250/4/9_P1-30.pdf 2012.8.13)
倉敷市「錦莞莚(紋様織込)」
(http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=5506 2012.8.15)
倉敷市「倉敷市立磯崎眠亀記念館」
(http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=5841 2012.10.23)

<写真の掲載元>
私の花図鑑「い (藺 いぐさ) Juncus  effuses 多年草」
(http://www.mitomori.co.jp/hanazukan2/hana2.4.286i.html 2012.10.24)

ごあいさつm(_ _)m

 みなさん、はじめまして!
 高知工科大学マネジメント学部マネジメント学科3年の、渡辺大貴、馬場博之と申します。
 第1回目の今回は、私たちがなぜブログを始めることにしたかをお話しします。

 私たちは、共に岡山県倉敷市の出身です。前述の学科で、主に経営や地域活性化について学んでいます。
 3年生の夏休み、私たちは、「地元岡山の企業について知りたい!」という想いのもと、岡山市にあるNPO「エリア・イノベーション」でのインターンシップに参加しました。
 「エリア・イノベーション」は、地元企業でのインターンシップをコーディネートし、企業と若者をつなぐ仕事をしている団体です。
 今回の私たちのミッションは、渡邊は児島の地場産業、馬場は倉敷を中心とした岡山県の地場産業とSB(ソーシャルビジネス)の企業を焦点に、企業の社長様にインタビューをさせていただき、インターンシップについてのご案内をしながら、企業についての見識を広め将来について考える、というものでした。

 企業数社に伺わせていただいて、岡山には、いくつもの魅力的な地場産業があることを知りました。
 現在地場産業を行う企業は、代替品や安価なライバル製品の登場などによって、厳しい状況下におかれているところが少なくありません。
 しかし、どの企業もこだわりをもったすばらしい製品を作っておられます。
 また、SBにおいても地域の過疎化や高齢化などという問題に対して、特徴のあるビジネスにより、問題解決につとめておられます。
 私たちは各社の社長や社員の方の想いをお聞きして、「岡山の地場産業とSB企業の活性化の役に立ちたい!」と思うようになりました。

 そこで、私たちは、このブログを通じて、岡山の地場産業とSB企業のPRをしていきたいと考えています。
 私たちと同じ岡山出身の学生や、現在岡山に住んでいる学生をはじめとした多くの方々にこの記事を見ていただけたらと思っております。
 投稿する日と内容は、毎週水曜日の19:00に、馬場と渡邊で交互に、取材させていただいた企業について一社ずつ書いていきます。
 ブログを書くこと自体初めてであり、不慣れな点もあるとは思いますが、温かく見守っていただけたらと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。

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